第9回 なんでもアイロン プリント・アート
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
今回も、「文学Tシャツ」のときと同様にTシャツにアイロンプリントを貼ってゆきたい。しかし、貼るものは文学から離れて、どんなものでも、なんでも貼って、このTシャツを見た人が、変だな、びくっくりしたな、面白いなと、思ってくれたらいい。
こまったTシャツ
■実際につくってみる
まずアイロンと、アイロンプリントシートを用意する。(前回とおなじである。)
▲このアイロンプリントシートはパソコンのプリンターで印刷できる。
▲アイロンをかけるのはおなじなので、画像もおなじものである。
Tシャツの上に、コンビニ袋が置いてある。・・・・・ように見えるが、実はコンビニ袋をデジカメで撮影し、アイロンプリントシートに印刷して、アイロンで貼りつけたものである。
▲しかし、画像を見るかぎりコンビニ袋が置いてあるようにしか見えない。
▲ハンガーにつるしてみると、コンビニ袋がアイロンプリントであることがわかる。
また、こんなものをやってみた。
▲揚げたてのコロッケにソースである。
▲だいぶ目が慣れてきて、なんとなくコロッケがプリントされているのがわかる。
▲ハンガーにつるしてみれば、一目瞭然である。
次は、溶けたチョコレートである。シャツにチョコレートをつけたりしたら、どれだけ怒られるかわからない。が、これもプリントである。
▲布地がゆがんでいるため、チョコレートもぐにゃりとなっている。
▲Tシャツの全体像である。
また、次は、ポテトサラダである。
▲残念ながらポテトサラダに立体感がない。
▲遠目にみると、すこしポテトサラダ感が復活している。
▲あんまり離れて見ると、判別不能になる。ふつうシャツにポテトサラダの組み合わせはないので判らなくなるのだろう。(ちなみにTシャツがなくなり、長袖のシャツになっている)
ポテトサラダを食べたら、また揚げものが欲しくなる。
▲こんがり揚がったイカフライである。
▲シャツと合っている。
▲意外とグットデザインである。けっこういい。
・・・・・・・・まだまだ、なんでもアイロン プリント・アートはつづく。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。
第8回 ぼんやり観光旅行
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
インターネットの世界は、たとえて言うならば、夜寝てみる夢に似ているところがあると思う。ネットサーフィンをしていると思いがけない物を見、思いがけない感想を持つときがある。今回は、ネットとパソコン世界の特性をいかして遊んでみたいと思う。
「ぼんやり観光旅行」とは、文字通りぼんやりした風景に出逢いながら旅情を満喫するものである。今回の企画の当初は、風景写真のなかに不特定多数の人々が写り込み、個人情報が不用意に洩れてゆくのを防ぐために、背景の人々や特定の物をぼかしていったが、あれも、これもと、ぼかしているうちに、ほとんどすべてぼかすことになってしまったのである。しかし、これはこれで面白く、いいのではないかと思っている。まぁ、軽い気持ちで見てください。
東京に住んで、はや30年。しかし、どこへも行ってなかった。
まずは、東京駅に行ってみたい。しかし、随分ぼんやりした駅舎である。これでは、ほんとうに夢の中の印象のようで、おぼろげである。
▲大正3年(1914年)開業の東京駅に行ってみた。クラッシックな外観が素晴らしい。
それから、はとバスに乗った気分で東京見物定番の、東京タワーへ行く。こちらも、水の中に入っているような塩梅である。
▲昭和33年に完成。高さ333メートル。
東京タワーを見上げて、高いな、と感嘆の声をもらす。
また、国家議事堂へ足をのばしてみる。
▲昭和11年(1936年)に建設された。
ここの議事堂は、やけに古ぼけた色合いである。それから、皇居に行ってみる。
▲1868年(慶応4年)、江戸城が東京城(とうけいじょう)と称され東京の皇居になった。
▲西郷隆盛像 明治31年(1898年)建立。散歩につれている愛犬は雌犬の薩摩犬で名前を「ツン」。
上野の森、西郷隆盛像である。憧れの銅像を見物できて幸せである。横目で国立博物館を見送りながら一路西へむかう。
まずは、鎌倉である。そして、大仏。
▲高徳院、長谷の大仏である。
鎌倉時代のものが、見られるのは感動的である。
そして、新幹線に乗り、
おお、見えてきた。見えてきた。
▲2013年、世界遺産登録。
日本一の富士山である。近年では富士山大爆発など噂がとびかっているが、やはり、美しい。ぼんやりしていても美しい。さくらの季節となると、また格別である。
それから、新幹線で、もっと西へゆく。
京都と言えば、やはり金閣寺でしょう。しかし、凄い金(ゴールド)だなぁ!! これだけ貼るのは随分手間とお金が掛るだろう。ちなみに金箔の量は約20キログラムだそうだ。時価1億円の金(ゴールド)が目のまえにある。あぁ〜。
▲1165年(長寛2年)、後白河上皇が建立。
今度も、金箔つづきで、三十三間堂(蓮華王院本堂)である。金色に輝く木造千手観音立像は1001体もあり圧巻である。
▲778年(亀宝9年)創建。
次は、ぐっと色合いは地味に、清水寺である。しかし、ここも凄い。なかに入って舞台から下を見ると絶壁の上に立っている心地である。
そして、奈良へ行き、
▲680年(天武天皇9年)創建。大講堂は2003年の再建である。わりに新しい。
薬師寺である。ぼんやりしていて、これでは何処だか判りにくいが、たしかに薬師寺である。それから、東塔へも行ってみる。
▲東塔は国宝である。奈良時代に建てられた。
東塔は、ぼやけて塔の細部がわからず塔を感じない。しかし、たしかに奈良の寺院に行っている実感はある。それから、法隆寺に行き夢殿を見学。
▲607年(推古15年)の創建とされている。こちらの夢殿は、聖徳太子の1000円札の裏に印刷されていた。
そして、いよいよ奈良の最後は、東大寺である。まずは、南大門の木造金剛力士立像(国宝)に感心してから、大仏殿へむかう。
▲1203年に運慶、快慶が69日で造った。
▲8世紀前半の創建である。桜の花が見事である。
目を細めて見ると、なるほど東大寺、である。しかし、大仏は見れず修了。
・・・・・と、まぁ、こんな感じで修学旅行みたいな脳内旅行は、ひと段落である。ついでに、草津温泉、札幌の時計台へもワープするみたいに行ってみた。
▲草津温泉の湯の花畑である。
▲札幌の時計台も、これでは判別できない。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。
第7回 文学Tシャツ
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
この文学Tシャツは、今から17年ほどまえの発案計画で、衣料店に自分好みのTシャツの絵柄がなかったことが創作の動機である。これはアートというよりはファッション的な要素がつよく一般的に芸術と思われないが、ここでは拡大解釈しながら「アートな気分」として取り上げたいと思う。
■実際につくってみる
まずアイロンと、アイロンプリントシートを用意する。
▲このアイロンプリントシートはパソコンのプリンターで印刷できる。
▲アイロンを使って10分ほどで簡単にできる。
たちまち、いろいろな文学Tシャツができあがった。
▲こんなTシャツがあればよかったが売ってなかった。(これは非売品である)
▲詩人の瀧口修造をTシャツにしてみた。
▲布地に印刷してあるから画像はしぜんと歪んでいる。
暗黒舞踏の創始者 土方巽も取りあげてみた。眼光の鋭い顔をトリミングしてみた。
そして、大正文学の巨匠 芥川龍之介である。
▲小説家 芥川龍之介である。「侏儒の言葉」の一文が印刷されている。
文学ではないが、思いついたので、こんなものも作ってみた。
元祖・蟻Tシャツである。17年ほどまえに井の頭公園で展示発表していたが、その頃は、世の中に蟻Tシャツや文学Tシャツの商品はなく、その後、それらを模倣した物が出回るようになっていった。
▲小さなTシャツに蟻の絵柄をプリントした。
また、他にこんなものも作ってみた。
▲和本の孟子の文章を印刷してみた。
コラージュした絵もプリントしてみた。
▲90年代初期、今から25年ほどまえの作品をTシャツ化した。
▲懐かしい気持ちがする。
アイロンプリントはけっこう楽しく、だれでも手軽に表現の幅がひろがってゆくと思う。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。
第6回 出張展覧会
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
今回の提案は、25年以上まえの発案で、インターネットの普及した現在では最早時代遅れの感もあるが、今回は「自分の作品を屋外で発表する」と云うことを提案したい。
▲額装した作品を背負って人々に見てもらっています。
20年ほどまえの日本には、新人作家が美術作品を発表する場合、貸画廊か公募美術展覧会しかなく、きわめて発表の場が限られていた。貸画廊は高額な使用料で手がでず、公募展ではほんとうに発表したい表現は入選展示されなかった。そこで私が考えたのが、屋外に自分たちの作品を展示すると云うものだった。当初は、屋外の外壁などに額装した作品を展示していたが、それではたくさんの人たちに見てもらえない、と云うことで作品自体をより多くのひと目にふれさせるために作品を背負って歩くことにしたのである。
▲歩道橋にたたずんで、道ゆく人びとに見てもらっている。
▲街のなかに出て、いろいろしながら作品も見てもらっている。
▲電車に乗って移動中も見てもらっている。
【出張展覧会カタログ】
▲「ギャラリー歩道橋」名義で活動していた当時の記録カタログ。
B5判 20ページ 1997年 藝術雑誌發行 黒猫堂 刊行
〔特別販売〕1000円(送料込み) 古い物ですので、経年によるヤケ、若干の折れ等ございます。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。
第5回 1円玉応援団
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
現行の1円アルミ貨が発行されて今年で60年目になる。現在流通している500円、100円、50円、10円、5円硬貨にくらべ、一番小さく、一番軽量である。そして、時代と共に物価は上がり、1円硬貨の価値は下がり続けている。普段、気にもとめない1円玉であるが、今回は社会の底のほうで頑張っている1円玉を大いに顕彰してゆきたい。
▲【1円アルミ貨】直径20㎜、厚さ1.5㎜、品位アルミニウム100%、量目1.00g、発行枚数 441億1984万9000枚(2012年までの総数)
1円玉エンボス版画
1円硬貨へのオマージュとして、1円硬貨の拡大模型を型押しの版画(エンボス)、手彩色(銀色アクリル絵具)でつくってみる。
■実際につくってみる
わが家には、手ごろな作業場がないので、いつでも炬燵の上が大活躍である。
▲炬燵の上は、鉄工場のような具合になってきた。
▲1円のデザインのパーツを0.5㎜厚のアルミニウムの板でつくってゆく。手回しドリルで形を切り出してゆくのに時間が掛る。
▲ときおり、手をやすめながら作業を続ける。
▲1円玉エンボス版画の原版完成である。
画像を見ると、いきなり完成したようにみえるが、実際の作業は困難をきわめた。とくに「平成二十五年」の年号をドリルで穴をあけ、文字の内側を鉄ヤスリで削りだす作業はたいへんであった。
版画プレス機でエンボス版画を刷ってゆく。しかし、刷るといっても版にインクを載せない空刷りである。そして、空刷りしたエンボス版画に、筆を使ってアクリル絵具(銀色)で着彩してゆく。
▲二度塗り、三度塗りして作ってゆく。
▲複数の版画の色塗りを一度にやってゆく。
▲活版印刷で「ひとつでは非力だが社会にとって不可欠である」を刷ってみた。
▲B4サイズのエンボス版画が完成した。
大いに1円玉を顕彰したが、ついでに0円玉のエンボス版画をつくってみた。
▲0円玉版画というのは、赤瀬川原平氏制作の零円札にたいするオマージュでもある。
・・・・・まだまだ、1円玉への応援はつづく。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。
第4回 Xファイル・アート
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
このXファイル・アートとは、第三者(鑑賞者)にたいし小規模な擬似超常現象を起し、不思議感覚と滑稽感をつくりだしてゆくものである。これはアート(美術)の守備範囲から若干はずれる感じもするが、アートの歴史にたいする果敢な挑戦であるとしたい。
ミステリー・サークルの起源はさだかに知らないが、UFOが描いた、宇宙人が描いた、竜巻等の自然現象説などあるが、人為的なものであれば人間の不思議(ミステリー)な精神活動のひとつと考えたい。この意味不明で不思議な気持ちを起させる作品を、よくニュースなどで見かけるが、それより1000分の1、100分の1のサイズに縮小して公園の地面に書いてゆきたい。
■実際につくってみる
まず、サークルの円を描くために廃材を利用してコンパスを制作する。
▲手回しドリルをつかい穴をあける。
▲まっすぐに穴をあけるのが難しい。
▲穴にボルトとナットをつけてコンパスのつなぎ目を固定する。
▲コンパスの端に釘で針をつくる。
▲完成である。
今回も公園に行き、表現活動をしてみる。
▲今日は天気がよく、午後2時頃の公園内はたくさんの人たちで賑わっていた。
▲小さい円を描いてみる。
▲円をいくつも重ねて描いてゆく。
▲小さいながらも、それらしいサークルが出来てゆく。
▲突如、公園内の運動場の地面にミステリー・サークルが出現した。
これを見た者は、きっと擬似超常現象を目撃したと思うだろう。
S.L.W・アート
S.L.W・アートとは、Strange Language Work・Artのことで、邦訳すると、未知の言葉の芸術となる。なんだか怪しい英語であるが、作者の設定では、異星人か異次元の世界の住人が落としていった紙片と云うことで、しかし、異星人の落し物にしてはコピーした小さなレシートぐらいの紙片では説得力も何もないが、簡単に作れ、費用もあまり掛らないと云う制約のなかでは仕方あるまい。ほんとうは地球外の、未知の金属の板に文字を刻みたいところだが。
■実際につくってみる
未知の言葉(文字)をゴム印で60種類ほど作り、長文の紙片を、もしくは書物のようなものをと考えていたが、手元にてごろな材料がないので、あり合せの方眼紙に鉛筆で書いてゆく。
まず、文字の設定をする。
▲とりあえず暗号のような文字をつくる。日本語で書くので、アイウエオである。
▲紙片に載せる文章を決める。創世記、第1章の冒頭部分である。簡単につくれると思っていたが、案外文字をひとつずつひろって日本語から未知の文字に訳してゆくのが面倒である。
方眼紙で文字をつくるため、9つの桝目の制限をつくり、それぞれを黒く埋めてゆく。
▲文字づくりはも楽しいと云うよりも苦しい作業である。この画像は9つの文字が書かれている。
▲「1ハジメニカミガテ」と書いてある。
▲これが手描きの原画である。全部で146字である。鉛筆で下書きして、油性マジックインキで塗り、0.5ミリのジェルペンで修正してゆく。
無意味で、遣り甲斐のない行為はどこまで耐えられるか、をやっている気がしてくる。
▲コンビニのコピー機で縮小コピーをとり、その画像をパソコンに取り込んで加工し、版下をつくる。
▲奇妙なものがたくさん出来あがった。
▲異世界の紙片である。紙片の寸法は約100×60㎜。
■実際にやってみる
せっかく作ったものだから、人々に見せたい。共感してもらいたい。しかし、見せ方が問題である。直接、人に会って、はい、と渡しても面白くないので、
電車に乗って、座席シートの上に落としました、としたい。たくさん落とすと叱られそうなので、一枚ずつ場所をかえて落としてゆく。
▲ひらりと、一枚だけ落ちている。
また、電話ボックスのなかにも・・・・・。
▲いっとき流行ったビラチラシのようにである。
▲コインランドリーのテーブルの上にも。
▲それから、道路にも。
この紙片をひろった人は、これを何と思うだろうか。何かの、業務用のバーコードの類いかと思うだろうか。・・・・・・それとも、なんと思うのだろう。ひろった人が「?」と思ってくれたら成功である。ちょっとでも未知の物、不可解なものと思ってもらえたら、ひとつのXファイル・アートの成立である。
この世には、理解を超えた出来事がある。これは、杉並区のある路上で、私が遭遇した現象の一部始終である。
▲天気の良い午後、散歩をしていると、目のまえが、急に明るく、まぶしくなって、
▲思わず、スマホで撮影をした。
▲まぶしい光のあとに、軋んだ音と焦げたような匂いがして、
▲前方の建物がゆがんだように見えてきて、
▲身の危険を感じて、あとずさりしていると、
▲空間が波紋のようになって、
▲ぶっあん、と膨らんだあと、
▲もとの景色に戻った。
私は、おそる恐る散歩を続けた。(これは、勿論創作です。)
✤
また、別の日に、阿佐ヶ谷を歩いていると、
▲「キィーン」という金属音がして、
▲急にあたりが暗くなり、
▲突然、風景が三角形に「ピキッ」と割れて、
▲三角のかどが、光り輝き、
▲風景が「ズルッ」と出てきた。
▲ところてんのように「うにゅん」と流れて、
▲流れて・・・
▲道路に「ビタン」と落ちた。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。
第3回 スプラッター・ランチ
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
今回は趣向をがらりと変えてゆきたい。気持ちの悪いもの、怖いもの、トラウマになるのを気にする方はご覧にならないほうがいいでしょう。
人類における料理の起源は古く、今から約12.5万年前まで遡るとされている。最初は狩りをして得た動物の肉を直火にかけて焼いてから食べる簡単な料理方法であった。
動物を料理して食べると云うことは、動物を殺すことであり、命を奪って食べることであった。それがとくに端的に表れるのが原始時代であり、調理場である焚き火の脇では動物の解体作業が流血のなかすすめられる。
■スプラッター・ランチを体験してみる
スプラッターといっても現代の食卓では、猟奇、恐怖の色合いはまるっきり脱色され完全に無害化されている。ひとびとは己の行為の残虐性をまったく考慮することなく微笑みのなか食事をつづけている。
つまり、「スプラッター・ランチ」と云うのは「普段の食事」と云うことを視点をかえてみる試みで、いつもどおりの食事をするだけで充分猟奇的であると云うことである。
フライド・チキン
わが家の食卓でもある炬燵のうえで、今日も血の惨劇が繰りひろげられている。今夜の犠牲者は鶏。いまでも耳の奥で鶏の断末魔の叫び声がきこえてくる錯覚がある。(しかし、香ばしく揚がったチキンを舌にのせると、それはもう美味とカラダが即座に反応してしまう)
事件は、食卓の上で起きている
鶏惨殺死体遺棄事件発生 !! 事件現場に急行する。
▲黒猫警部、事件現場に颯爽と登場。
▲夕食のあとの事件現場である。
なんと言っても被害者の鶏の身の上にとっては、命を奪われ、喰われる、と云う衝撃的事件である。捜査員を緊急配備、規制線を張って現場検証をする。本件は、犯人の判っている事件で捜査はしやすいが、これはなかなか立件が難しそうである。世にもおぞましい猟奇事件の犯人確保に全力をあげている。
▲加害者の物と思われる証拠の鑑定が急がれる。
▲捜査は難航して、現場の空気は張りつめていった。黒猫警部は捜査員に的確な指示をだしてゆく。
▲犯人は被害者の肉を歯でむしりとり、剥き出しになった骨を現場に遺棄している。見るも無残な被害者の姿である。
▲規制線の内側に惨殺事件現場はある。(おいしく鶏は食べられてしまったのである)
緊急事態発生 !!
今度の被害者は、アメリカ豚の雌(推定2歳)。
豚のしょうが焼き
雌豚惨殺死体遺棄事件発生。今回は無惨にも足のもも肉を切り刻まれ、現場に遺棄されると云う事件が発生した。 被害者は年若い女性(雌)で、その苦しさ、無念さはいかばかりであったか、察するにあまりある。
▲事件現場は騒然とした空気に包まれていった。
惨殺死体遺棄現場に到着。被害者に黙祷を捧げ、さっそく現場検証にかかる。
被害者は、鋭利な刃物により臀部の肉を薄く切り取られ、死因は出血多量によるショック死と思われる。
▲黒猫警部も言葉を失った。
▲まれにみる猟奇殺害事件である。
▲規制線が張られ事件現場には沈鬱な空気がながれる。
凄惨な事件現場をよこ目に楽しく「豚のしょうが焼き」の夕飯は始まる。
・・・・・つづく。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。