藤宮史の二番煎じなアートな気分

手軽で笑える現代美術的なことをやって、不定期に掲載します。

第17回 たそがれ習字アート

                はじめに

 ここ17年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。

            ✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤

 約2年半ぶりの掲載である。2019年の元旦そうそうから不吉な習字を思い立ち、家人の顰蹙をものともせず幾枚かの書をものした。齢五十四。もう、りっぱな大人である。「大」「人」と書いて、おとな、と云うが、分別のある「おとな」にはなっていないようだ。しかし、思いついたら100年目の心意気でいきたい。

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  「転び貧図」としたい。正月そうそう縁起でもない、と家人は言うが、しかし、「貧」が石に躓いて転んでいるので「貧」ではなく、「福」に転じると強弁したい。「貧」の足許の石がポイントである。従来の書では関係のない字画や点などは入れないとおもうが、わたしの習字はあえて入れてゆく。

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 これは「孤貧図」としたい。たそがれた「貧」が立ち去ってゆく姿を書いた。「貝」の足が長いが雰囲気の方をたいせつにしたい。

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 これは「倒貧孤図」としたい。もはや、書の域ではない。「貧」が逆さまに書かれている。いまの自分の境涯を書いたようだ。しかし、「貧」は貝を分けると書いて「貧」とするので、富の分配、ひとりじめしない心ではないかと慰めている。「貧」と書いて「福」であると思われる世はこないものか。

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 皆で貧乏なら怖くない、と云う思いだが、案外底辺の方が争いごとが多い気がする。

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互いによりそっても、次第にうとましくなり、

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やがて、体勢を立て直して貧者のなかでも強者と落伍者がでる。

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強者の「貧」たちが争って団子になる。

そして、弱者の「貧」は、追われて、孤立して、

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「抜け貧」になる。

そして、

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バラバラになって、欠けてゆく。

 

 次の習字は「大愚」である。これも新年にふさわしくない。自戒をこめて書くが、世の顰蹙をさけられない。

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 「大愚」一字ではなく、ならべて書くことに意味がある。右の「大愚」は背伸びをしている。今更にして愚である。

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「大愚群図」の大愚たちは、ここでも争う。

 

藤宮史 (フジミヤ フヒト)

1964年生まれ 版画家、漫画家

 平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。木版漫画集「黒猫堂商店の一夜」(青林工藝舎)を刊行。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。