第2回 告白アート
はじめに
ここ15年ほどの私の創作活動は、猫の木版画制作や木版漫画制作がおもな仕事になっていた。しかし、これからは現代美術的な匂いのする「藤宮史の二番煎じなアートな気分」もときどきやりながら版画制作もやってゆきたいと思う。
✤✤✤ 今回の提案 ✤✤✤
昭和30〜40年代のころは、よくローセキをつかって路面に落書きをする子供たちの、元気に遊ぶ姿がみられたものであった。今の、平成の世となってからは殆んど見かけなくなった。その古き良き時代への哀惜の念をこめて、齢五十となった身の上なれど、愚直に、真摯に落書きを実行してゆきたい。
告白アートと名づけてみたが、告白と云うには、それほど深刻ではなく、軽く、楽しく、滑稽感がでればと思う。今回はローセキやチョークなどを使わずに、厚めのボール紙でつくったステンシル版を路面に置き、その上から水入りの霧吹きを使って路面を濡らすことで文字を書いてゆきたい。このステンシル版使用の落書き方法は、ローセキやチョークで直接路面に書くのとちがい、瞬時に明朝体や角ゴシック体、草書、隷書が書けてしまう。
■告白アートを、実際につくってみる
炬燵に足を入れ、ぽつりぽつりとステンシル版を切り出してゆく。・・・・・・と、言っても、それほど簡単にことは済まない。まず、パソコンでワードを開き、落書きする文字を打ってゆく。その文字を大きくしてプリンターで印刷。文字を印刷した紙を厚ボール紙の上に置き、小さく切ったセロテープで二か所を固定。印刷した紙と厚ボール紙の間にカーボン紙をはさみ、文字を印刷した紙の文字をボールペンでなぞって書く。すると厚ボール紙に文字が転写される・・・・・・・・と書いてゆくと際限がないが、とにかく、ステンシル版を切りだしてゆく。
▲厚ボール紙はシナベニヤ板のように硬く文字の切り出しは容易ではない。
▲冬の夜長、炬燵に入って告白ステンシル版づくりに励む。
とりあえず、手始めに「ケーキを食べたのは、私です。」「計算が苦手」「ぷっしゅ〜」を切ってみた。これだけ切り出すのに丸二日間かかってしまった。長時間、炬燵に坐して、こんなものをやっていると、ほんとうに自分はこれでいいのか、よかったのかと、自問自答する。とくに「ぷっしゅ〜」は、笑いが、腹の底から込み上がってくるようである。「文明の果ての大笑い」と云う言葉があったが、こんなときに感じる言葉なのかもしれない。
▲路上に、この言葉があるところを想像してみてください。
▲霧吹きの水で、路面に書く予定です。
▲チカラがぬけてゆきます。
■告白アートをかいてみる
▲昼間、阿佐ヶ谷けやき公園に自転車でゆく。
▲閑静な住宅街のなかに公園はある。
▲霧吹きに水を入れて、メッセージを書く。
▲「て」の文字にすこしづつ、慎重に霧を吹きかけてゆく。
▲冬場であるが、霧吹きの水はコンクリートにすぐ沁み込んでゆき消えてゆく。
手始めに、公園の脇の路面に「て」の文字である。1926年(大正15年)、テレビの試験受像のときは「イ」の文字であったが、こちらの試作第1号は「て」である。
▲証拠写真を撮ろうにも、すぐ消えてゆく。
霧吹き書きも職人的な技術がいる。文字が滲んだり、かすれたり、するのでしっかり書くのは難しい。それに、すぐ文字が消えてゆく難点があり、これでは告白アートも寿命が短いと云うもので、何か改善策を練らなくてはならない。
水から砂にしてみる
あっ、そうだ。と、ひらめいて水から砂へと変更した。これならば水のように蒸発して、瞬時にメッセージが消えることもない。それに公園には砂は無尽蔵にあり表現にはこまらない。
▲ステンシル版を公園の地面におき、砂をふりかけてみる。
すると、どうだろうか、ご覧のとおり素晴らしい出来栄えである。明朝体の文字が活版印刷の鉛製活字のようである。
▲砂の盛りを多くしたら立体的な文字になって存在感は抜群である。
▲しかし、「べ」と「は」の存在感が希薄だ。
▲「私」と「で」のあいだにステンシル版のつなぎ目が出てしまった。職人としてはまだまだである。
また、コンクリートの上にも書いてみる。
▲地面とちがって書きやすいが、それでも難しい。
▲「を」の字がうまく書けない。
▲「の」と「は」と「、」が擦れて滲んでしまっている。
▲失敗である。とくに「私」はほとんど判読できないぐらい崩れている。
くやしいので、もう一度「私です。」を書いてみる。
▲やれば出来る。きれいな明朝体の文字である。
・・・そして、もうひとつ書いてみる。
▲しっかりした文字で「計算が苦手」と言っているのでおかしい。
▲斜めから撮影すると、なんだか威厳ありげな雰囲気になっている。
・・・それから、
も書いてみる。炬燵の上でも笑えたが、砂で書くと、もっとおかしい。
ちょっと、品位に欠けてきた。軽めの告白アートと言っても、もうすこし含蓄のあるところをみせたい。・・・・・そうそう、夏目漱石の小説などを読んでいると、なるほど、と感心する言葉が出てくる。
それを書いてみると、
▲行書体で書くと、威厳がある。砂の抜けが素晴らしく、嬉しい。
▲砂なのに達筆なのが誇らしい。書道検定3級の腕前はありそう。
こうなる。
▲「則天去私」である。言葉の意味は「小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと」らしい。なかなかそう云う境地にはいけないが、まあ、素晴らしい。
今回は最後に、告白としては一番いい言葉を書きたい。これは、ある人にとっては、父に、母にむけられ、また夫に、妻にむけられる。日々なかなか素直に言えない言葉、
である。
藤宮史 (フジミヤ フヒト)
1964年生まれ 版画家、漫画家
平成17年(2005年)第7回アックスマンガ新人賞を受賞する。また第12回、13回、17回の文化庁メディア芸術祭において審査委員会推薦作品に選出される。1999年から2002年の三年間、漫画家の永島慎二氏の銅版画制作の助手をつとめる。